ファッションデザイナー生活 290日目

以前手紙を送った、紳士服・婦人服の両方を作れる名職人さんのお店をご訪問しました。

名人さんの経歴から往年のテーラー業の様子をメインに聞こうと思っていたのですが、他店のことや業界全体のことはほとんど知らないようでした。

経歴については、新聞や町おこし関係の記事をそのままくれて、ほぼ省略されました。

店内には 60年間の間に発表してきたファッションショー用の衣装が紳士服も婦人服も多数飾られていて、それらを見せてくれました。

紳士服の背広やコートは学ぶのに6年は掛かるそうで、しかもここのお店ではスタッフは募集しておらず、技術供与を受けることは無理そうでした。

私にとって直接役に立つ案件は得られませんでしたが、それでも、せっかく来たから、と、私が作りたい雰囲気に近そうな婦人もののコートの型紙の作り方が載った冊子をくれました。

「会わない」や「適当に茶飲み話をして返す」という選択肢もあるなかで、「熱心ですね。来るんだから偉いよね」とねぎらいの言葉を掛けてくれて、尚且つなるべく力になってあげようとしてくださる姿勢は有り難いことです。

そういえば、服の学校で講師をしていた先生のなかで、メンズの型紙を作れる人が2人いて、おそらく2人とも 30代だったんですが、どちらも欧米で技術を磨いたと言っていました。
1人はニューヨーク、もう1人はベルギーのアントワープでした。

今日お会いした 81歳の名人のように、かつて日本に外国製品があまりなくて、日用品を国内生産でまかなっていた時代の世代の人であれば、日本国内で中級~上級の技術も習得できたんでしょう。

海外移転が進んでしまっている現在では、紳士服を本格的に学ぼうとするなら海外に渡るしかないのかも知れません。日本の服飾業、製造業の限界を垣間見ました。

それに、私は実用的なテーラー服をやりたい訳ではなく、衣装のレパートリーを増やすために技巧を知っておきたい、という程度なので、国内か海外かに関わらず、テーラーのお店に修行に行くのは合わないなと判りました。

私は、服を作るという曾祖父の素質を受け継いではいるけれども、環境的にも、趣向の面でも、曾祖父と同じ道は歩めない。
それと、曾祖父の足跡を探しても、何も得られない。
ということを悟りました。

それはそれで、悲壮感はまったく無くて、むしろ安心しています。

すでに何度も神様に言われている気もしますが、私は自分の思い描くストジャパとメールンをやれ、それ以外には目をくれるな、ということだと思います。

名人はメールンのデザイン画を完全に婦人服だと誤解していたし、ストジャパを見て、和服をやりたいのかな?と首をかしげていました。

今さら名人に意識改革をせまるつもりはないので特に説明はしないでおきましたが、つまり、私は人格の面でも、作品の面でも、既存の枠にはハマれない人間なのです。

私としては、はみ出しているという感覚はなくて、まだ知られていない枠にはまっている人間であり、その未知の枠を、世に知らせる役目をもっているんだと思っています。

強いプルシェンコさんと、美しいジョニー・ウィアーさんの、両方の要素を兼ね備えた、まだ知られていなかった道を世に示している羽生結弦選手に似ていますね。
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プロフィール

Ayako SHIOZAWA

Author:Ayako SHIOZAWA
國學院大學の神道文化学部を卒業したあと、戦国無双2をきっかけに日本LOVE魂に火がついて、和風の服のデザインを描くようになった元ゲーマーです。FtMのトランスジェンダーでもあります。

このブログを始めた当初は、現代でも通じるカッコイイ和風が見たい一心でなんとなく手を動かしていました。

2010年4月~2012年3月に、会社員をしながら週末に服飾の専門学校に通い、洋服の作り方、ブランドコンセプトの立て方などを学びました。卒業後から「ストリート・ジャパネスク」の商品として浴衣2点作り、販売し始めました。

2014年からフィギュアスケーターの羽生結弦選手にハマって、メールン・アフロディーテというブランドを考案しました。目下、レンタルに向けて商品開発中です。

2015年3月末に、それまで7年間やっていたシステムエンジニアの仕事を離職しました。ファッションデザイナーとして自分のブランドを営みつつ、たまにフリーランスで型紙作製などを行う個人事業主です。

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