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「日本にはなぜ、輝く宝飾品の歴史がないのか」

和系のコミュニティを回っていたら気になる記事を見つけました。
元記事はこちら。最近の更新がないので、コメントではなくうちのほうで記事にします。

日本においての宝飾品に関する疑問を読んで、そういえば何でだろう…と私も色々考えてみました。

服飾の歴史については詳しくないので、直接的なことは分からないのですが、
美意識などの思想面についてはいくつか思い当たることがあります。

> 古代邪馬台国の時代には、勾玉を配したネックレスなどが存在していました。
> しかし国ができあがるにつれ、宝飾品をつける事ができる裕福な女性達は、結っていた髪をおろし、日本家屋の奥深くに隠れ住み、姿を隠していきます。
> そしてネックレスなどの装飾品は消えました。
> 髪を結い上げ簪などで装う時代になっても、金色のびらびら簪もありましたけれど蒔絵や鼈甲などの静かな素材が主でした。


仏教が入ってきたのを境に、それまでの文化とそれ以降の文化には隔絶があると思われます。
服飾においても、質素を旨とする仏教の考え方が影響した可能性も考えられます。

それから、邪馬台国の時代(弥生時代)は、服がまだ前で合わせる着物(呉服)ではなく、
上から被る丸首の服が多く用いられていたようです。

やがて呉服、漢字、仏教などの様々な革新的な文化が入ってきて、
日本人の生活も考え方も変遷があったと思われます。

裕福な女性達が結っていた髪をおろし、日本家屋の奥深くに隠れ住むようになるのは
源氏物語絵巻にあるような平安時代の頃ですね。
しかし、どこも結わずに伸ばしっぱなしという髪型はこの一時だけのような気がします。

弥生時代から江戸時代までの髪型の歴史を通じてみると、
「髪は切らずに結うもの」という考え方が男女共にあることがわかります。
男性でも弥生時代では耳の横でまとめますし、その後長らく「ちょんまげ」として結っていますよね。
(お坊さんは別です)
結えないくらい短い髪型は、明治になってから、「ざんぎり」という名で初めて始まります。

それと、平安時代までは上層の女性といえば貴族ですが、
鎌倉時代以降は多分に武家の女性が上層を占めるようになったと思われます。
色とりどりの宝石や輝石は、優雅と風流を重んじる貴族の女性ならともかく、
武士の家の女性には、強く美しく賢くという、刃の一閃にも似た、
金銀のきらめきが似合ったのかも知れないですね。
べっ甲の黒や褐色の自然な色合いと落ち着きが大人な女性を魅せる。
西洋の宝石装飾品のような色と輝きよりも、
そのようなアジアンエキゾチックを好む日本人が多かったんじゃないかと思います。

> なのになぜ、その漆黒の黒髪に流れる金をつけようとはしなかったのか。。。
> その肌に黄金の輝きを添えようとしなかったのか。。。


「流れる黒髪」が至高である、という考え方がずっと日本人にあったらしいです。
主役は金ではなく「髪」であるという点がポイントな気がします。
こないだテレビで聞いたんですが、その「流れる黒髪」の意識の日本人に、
ショートカットの魅力を伝えたのが、
「ローマの休日」でオードリー・ヘプバーンが演じる王女が、美容院で
髪をばっさり切って可愛らしい仕上がりに満足げに喜ぶシーンなんだそうです。

肌については、色の問題じゃないですかね?
白色人種の方なら金も映えると思いますが、我々黄色の肌では
同系統の金はいまいち埋もれた感があるかも…?

また、日本人は、全部を前面に出すという事を良しとしません。
全体の中で、一部を前面に出すことで、それ以外の部分との対比を作って、
奥行きを出す、あるいは、焦点を明確にする、という表現方法を好みます。

豪華なアクセサリーを豪華な着物と組み合わせると
やりすぎ感があるのと同時に、アクセサリーと着物の柄と
どっちを見ていいのかわからなくなるのかも知れません。
日本人においてアクセサリーは、アクセントとしての役割にとどまっているんじゃないかなぁ?
石を使わない、金属や木工の飾りが付いたかんざしなどは
ありそうな気がしますが…。

ネックレスがないのは、着物に因って常にVネックになるせいじゃないかとも思います。
形状が被るとデザイン的に微妙なのかも?
ただし、キリシタンの人はロザリオを提げているかも知れませんので、
そっちの方面で探してみてはいかがでしょう。

> 顔や手を白くぬり眉を抜いて表情を消し、歯を黒くして綺麗な笑顔を消したのはなぜ?

さきほどの一部を引き立たせるという考え方に基づいてみると、
肌を白塗りにして眉の黒を消すことで、
口や目じりの紅と、目が引き立つのではないかと思います。
消すことで出てくるものを、日本人は狙っていたのではないでしょうか。

> 谷崎潤一郎  『 陰翳礼讃 』
> 闇を受け入れた日本人
> 闇を打破しようとした西洋人
> 明暗の闇と、もうひとつ、心の中の闇


西洋人においては、あらゆる生物の中で、人類がもっとも英知を持つ
最上の優等な生き物であるという考え方があります。
また、キリスト教においては、人類はほかの生物を導く存在であり、
ほかの生物とは一線を画すると考えられています。
野生から逸脱して、技術的・文化的に優れた生活をして、
栄光の人類の姿を永遠に。それが西洋人の願いです。

東洋人においては、人類はほかの生物と同じように、自然の一部であるという考え方があります。
酪農の比重が高い西洋に比べて、
東洋では森からの採集と、海や河での漁労の比重が高いような気がします。
採集や漁労の比率が高まると、自然によって人間は簡単に左右されてしまうし、
かといって自然がもたらす物がなければ生きていけない生活環境にあります。
豊かな自然と共に、季節の移ろいと時の流れを知り、やがて来る死の時まで、
いつの日にも、懸命に生きた自分の姿が在るように。それが東洋人の願いです。

西洋人にとっては闇は人を取り込む恐るべきものですが、
日本人にとっては闇は決して悪いことばかりではないという考え方があるように思います。
東アジアの人は多かれ少なかれ森が好きだと思いますが、
日本人の場合は特に顕著に森や山が好きですね。
森には幾多の木陰があり、山林の岩には岩陰があります。
それらの見えにくい所には妖怪が居ると考えられましたが、
妖怪は、悪いものもいれば、善いものもいて、
人間に悪戯したり、人間を助けたりする存在です。
それと同じように、日本人にとって闇は、傍にある多様な存在なのだと思います。
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テーマ : 日本文化
ジャンル : 学問・文化・芸術

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プロフィール

Ayako SHIOZAWA

Author:Ayako SHIOZAWA
國學院大學の神道文化学部を卒業したあと、戦国無双2をきっかけに日本LOVE魂に火がついて、和風の服のデザインを描くようになったゲーマーです。FtMのトランスジェンダーでもあります。

このブログを始めた当初は、現代でも通じるカッコイイ和風が見たい一心でなんとなくデザイン画を描いていました。

2010年4月~2012年3月に、会社員をしながら週末に服飾の専門学校に通い、洋服の作り方、ブランドコンセプトの立て方などを学びました。卒業後、メンズ向けのカジュアル和服ブランド「ストリート・ジャパネスク」を始めました。

2015年にIT業の会社を退職し、個人事業主のファッションデザイナーになりました。起業後2年ほどはブランド運営をメインに活動していましたが、現在は、ブランドのほうはほぼ在庫発送のみです。

現在のメイン業務は、オーダーメイドでの衣服の作製です。和服・洋服・メンズ・レディース問わず対応しています。デザイン/型紙(パターン)作製/縫製を1人でやっています。

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